元女優の高樹沙耶さんが 大麻取締法違反の疑いで逮捕された事件。世間では、覚せい剤取締法違反で逮捕された私の事件と同じように扱われている薬物事件ですが一部が大きく異なっています。


私の場合は覚醒剤を所持し使用したことを認め、そのことを裏付ける証拠も揃っており逮捕から約2ヶ月程度で有罪判決が確定しました。 清原和博さんも逮捕から有罪判決まで同程度の時間経過だったと思います。では、昨年10月に逮捕されて既に4ヶ月が経過する高樹沙耶さんの事件は、私や清原和博さんの薬物事件とどう違うのか。


覚せい剤取締法では所持も使用も禁止しているが、大麻取締法は大麻の『所持』『栽培』『譲受け』『譲渡し』などを禁止するも『使用』については禁止をしておらず、覚せい剤取締法と大麻取締法ではこの点が大きく異なっています。つまり「大麻を使った」という事実だけでは違法行為とはならず、法律上の解釈では大麻使用は合法と言えるのです。


高樹沙耶さん は、これまでの公判で大麻の『使用』を認めながらも『所持』については否定をしており、大麻取締法違反の疑いで逮捕はされたものの現時点では裁判中に彼女が主張している内容は罪にはあたりません。また、高樹さんと同居していた男性が「大麻は自分のものだ」と所持を認め、更には高樹さんとの共謀を否定する証言をしており、一致する両者の主張を前述の大麻取締法に照らし合わせると高樹沙耶さんに関しては 法律に違反していないと考えるのが合理的で無罪と判断するのが妥当です。


しかし、こうした状況にあっても観点を日本の刑事事件全体に向けてみると起訴がなされた場合の99%以上に有罪判決がなされている現状からは、検察が起訴した時点で前述した「大麻使用」の法解釈とは別の要因で有罪を求めることが推測され、今後の展開次第では「起訴した以上は何としても有罪にしなければならない」という検察の考えと裁判の現実を目の当たりにするのかも知れません。


世間では「裁判で真実が明らかになる」「真実に基いた裁定がある」と思う人が多いようですが、裁判とは真実が明らかになる場ではありません。双方の主張と証拠や証言の有効性や合理性を勘案して裁判官が判断をする場でしかなく、これは司法関係者の世界では周知の事実です。


前述したように法律的には 高樹沙耶さんは無罪が妥当であると考えられても、現実的には有罪となる可能性が高く、その可能性の根拠には疑念が抱かれています。ひとつは官僚やお役所にみられる横並び意識に象徴される「減点主義」です。今回、逮捕に踏み切った麻薬取締官(厚生労働省)、起訴を決定した検事(検察庁)にとっては無罪という結果がまさに減点対象であり、彼らの出世に影響すると言われています。


更には、この裁判は那覇地方裁判所で行われており、那覇で働いてる検事や裁判官は研修的要素を含めて本州から赴任している為、起訴された事件は必ず有罪にしないと自分の経歴に傷が付き出世に影響すると言われています。これらはあくまで疑念ですが、こうした外部要因が事件の判決に影響をもたらす事があった場合、法の遵守の上に成り立つ司法制度自体に疑念を抱かずにはいられません。


また観点を大麻に移すと、昨年の米国大統領選挙時には 大麻の合法化を問う住民投票が9州で実施され8州で賛成が上回り、これまでと合わせて全米28州と首都ワシントンで医療もしくは嗜好目的での(それら両方も含む)大麻栽培や使用が合法化され、米国では大麻が合法とみなされる州や特別区は一気に全体の過半数を突破しました。本年に入りグアムでも大麻合法化についての法案を知事が提出し合法化間近と言われており、世界的には大麻合法化の流れにあります。


その一方、日本で大麻合法化の議論を封じているのは 厚生労働省であり、その理由は自らの権益を守る為だとの疑念を抱かれています。厚生労働省の地方厚生局麻薬取締部が実績をアピールできる簡単な仕事を手放したくないという理由がまことしやかに囁かれているのです。


私は 高樹沙耶さんと面識もなく大麻に対して特別な思いもありませんから、この裁判に何らかの結果を望む者でもありません。しかし、自らの経験から一部の思惑や感情によって法律の運用や解釈が捻じ曲げられることや、社会的制裁や圧力が一方的に加わる報道のあり方を了とする殺伐とした日本社会に対しては強く異議を主張したいと考えています。


この事件に関して個人がどう思い考えようと勝手ですが、刑事事件の裁判で有罪か無罪かが判断されるのは「違法か否か」のみであり善悪に対する個人的な感情ではありません。判決が出ていない現状においてネット上で 高樹沙耶さんへの誹謗中傷が見るに堪えない状態となっていることには率直に憤りを感じますし、疑念を抱かれている司法関係者の判断や既得権益を守ろうとする省庁の存在にも疑問を感じます。


高樹沙耶さんの事件に関しては個人の行いよりも、裁判の結果とその内容に対して前述した事柄を踏まえて注意深く関心を寄せることが必要なのでしょう。また、その後に大麻や法整備に関する議論を重ね認識を深めていくことも必要なのだろうと考えています。現在の日本では、事件が起こるとサスペンス性を高めた報道内容と判決ばかりに注目が集まり、その後に無関心となってしまうことで議論が深まらず本質的な問題解決に至らないことが多過ぎるのです。


一過性の処罰感情に流されることは何の利益にもならないことを理解し、その都度、議論を深めていくことで防げる不幸や罪があることを問題提起して、この事件への世間の関心と認識の変化を求め信じると共に、私自身は前述した疑念などが事実であるか否かをこの事件の経過と判決で見極めるべく注視したいと思います。