世間で「ヤクチュウ」と言われるような薬物依存症は、医学的には「薬物依存症候群」という精神疾患である。しかし、世間ではその病気を患っている当事者を含めても病気なのだという認知度は低い。

私自身も通院当初は医師の言う「依存症は病気ですよ」という言葉が理解できなかったひとりだ。

しかし、ダルクという中間施設に通ったことで、この「依存症は病気」であるという事をようやく理解することが出来たので、治療や回復の途中にある方々や、その家族の一助になればとの願いをこめて書き記しておきたい。

一年間通院するも、医師の言葉だけでは理解することの出来ない事があった私は、施設を知る方々の勧めでダルクでのプログラムを受けることにした。通所するにあたっては「意味があるのだろうか?」と困惑をしたものの、結論から言えば有益であったことを確信している。

そのひとつが「依存症は病気」であると理解が出来たことだ。そして、これを理解する切っ掛けとなったのが施設内で市販薬への依存で苦しんでいる若者と出会ったことである。人物像や、施設内の様子については記すのを控えるが、決して特別に悪い人間という印象はなく、むしろ彼は真面目な青年であった。

医師の診断を必要とせずドラッグストアや薬局で、誰でも購入できる市販薬への依存を容易には信じることが出来ないだろうが、目の当たりにした私は毎日この事実と向き合い、依存症の根本的な問題は「摂取する物質」では無いことを理解した。

一般的には覚醒剤などの違法薬物には「強い依存性がある為に法律で禁じられている」として、一度でも使用すれば薬物依存症になるのだと考えられている。私もそう思っていた。しかし、その法律は目の前で苦しむ彼を依存症から守れて(救えて)いないのだ。

これはアルコールやギャンブルへの依存で苦しむ人々も同様であり、法律による制限と依存症の発症は無関係であると考えられると共に、前述したように根本的な問題は依存対象(薬物など)にあるのではなく依存症となる者の中にあり、つまりは精神的な病気ということなのだ。

私はこうした理解に及んだ時に「覚醒剤を使用したことのある人達には、特に苦しむことなく薬をやめている人が大勢存在している」という医師の話しを思い出し妙に納得をした。

それは私の実体験と照らし合わせることも出来たからだ。

私は18か19歳頃に覚醒剤を使用した経験がある。3~4回程度使用したと記憶しているが、その直後に覚醒剤を常用するには至らなかった。何故なのだろうか。

その理由は単純なことで、当時の私は覚醒剤を使用しても依存症を発症しなかったからである。では、私という同じ人物が覚醒剤という同じ薬物を使用しても依存症が発症したり、発症しなかったりするのは何故なのだろうか。

それは、18か19歳頃の私は精神的に満たされた状態にあったことで何かに依存する必要がなく、精神疾患の兆候すらなかったのだろう。そして逆に議員在職中の私は精神疾患状態にあり、覚醒剤を使用することで依存症が発症したのだと考えている。

議員に当選後の私は、深夜まで調べものを続けたまま落ちるように眠り、布団で睡眠をとることがなくなっていた。ホッと心を落ち着かせるような時間などは全く記憶に無い。そんな生活が半年ほど続いた後に、睡眠を抑制し集中力の高まる便利な薬として私は覚醒剤を使用するようになった。

当時は自覚をしていなかったが、このような生活に陥ってしまったのには「もっと仕事を」「もっと優秀に」「もっと結果を」という強迫観念にとらわれていたからなのだろう。要するに覚醒剤を使う前から精神的に病んでいたのだ。

そして、その強迫観念にとらわれていた私を助けたのが覚醒剤であり、こうした状態にあった私は簡単に依存症が発症したのである。

例として実体験から私の理解を説明したが、依存症という病気は大体がこのようにして発症すると考えていいだろう。つまり、精神疾患状態にある者が市販薬やアルコールの摂取、ギャンブルなどにより「救われた」場合には、その行為が合法であっても依存症が発症してしまうのだ。

このように薬物に限らず依存症とは、その発症前から精神疾患状態に陥っている病気なのだということをご理解いただけたであろうか。

最後に、私がここで伝えたいことがふたつある。

ひとつめは、前述の通り依存症は病気であるという事実。冒頭で述べたとおり、残念ながらこの事実への理解や認知度は大変に低い。医師が依存症に対して「意志が弱いだけ」と説いていたのは230年も前のことであるが、現在もこのイメージを抱いている人々が多勢である為に、自殺を含め救えるはずの命が失われてしまうこと。

ふたつめは、日本の依存症予備軍の人数は想像をはるかに超えるであろうことである。ブログ犯罪者になり知った「社会の片隅」にも記述したが、日本の自殺率は米国の2倍もあり世界でトップクラスである。

これは日本という国、社会が如何に「生き辛い」か、または生き辛さを抱えた人々が多く存在するのかを物語っており、依存症という病気が発症することと無関係では無い。

つまり、この国で依存症に対して「自分は大丈夫」という考えは大変に甘く、他人事ではないのだと警鐘を鳴らす必要があるという事だ。