私は議員という立場にありながら覚醒剤の所持・使用で有罪となりました。

逮捕直後から横浜中華街の一角にある警察署に約一か月間留置されていたので、私が当時の報道状況を知る由もありませんが、かなりセンセーショナルに報じられたようなので私を知らなくても、罪を犯した議員として記憶に残っている人は日本中に多くいるのだろうと思います。


この寄稿は、自らの経験から垣間見た事実をお伝えし、皆さんが日々摂取する情報や報道から社会や政治等の真贋を見極める糧にしてほしいというのが真意であり、日本の事実として皆さんにも知ったうえで生活の場から、より良い社会の実現に寄与して頂きたいと願い綴ることにしました。


まず、自らの行いが原因での罪ですから、誰に対しても一切の恨みも辛みもありません。

世間を騒がせたことや、期待を裏切ったことをとても申し訳なく思っています。


さて、私が世間での報道状況や内容を知ったのは逮捕から5日程度経過してからとなります。それは、私が3人の弁護士と面会した後に、依頼を決定した弁護士からの最初の言葉で自らの報道内容を知り驚くことになります。


「(覚せい剤を)警察に入れられたの?そういう報道がされていますよ」


この時の私の応答は、報道を見た日本中の人々と一緒だと思います。

「は?日本の警察が、そんなことする訳ないでしょう?」です。そして、これによってテレビ等で物凄い騒ぎになっていることを聞かされました。しかし、社会から隔離され情報が遮断されていることから全く実感が無く、拘留中に弁護士から聞かされる報道内容の多くに対し「どうして、そうなるのか?」との疑問に、檻の中でぼんやりと考えを巡らせていました。


こうした納得の出来ない部分や報道が多くあったものの、最終的には皆さんが犯罪者に対して抱くであろう感情どおり「お前(自分)が悪いのだ」と、私もその犯罪者意識から大部分については「仕方がない」と考えて争いませんでした。しかし、この「警察が入れた」発言だけは公判で主張し、検察側の調書から削除されています。もちろん、私の調書にもその発言の記述はありません。


では、こうした「デマ」ともいえる報道はどのようにして起こるのでしょうか。

ここからが本題ですが、この寄稿に対する信ぴょう性を高めていただくためにも、私は保身にならない黙っていたい部分についても吐露しなければならないでしょう。


多々詳細を省きますが、逮捕時に警察車両内での調べ中盤頃になって、刑事の乱雑な作業と進捗に「本当に警察の人間なのか?」と疑い、それを口にしてしまいます。そして全ての不手際を制するような怒号が飛び交った後から、私がいい加減な応答をした事や悪態をついたことは認めます。(この辺は別の機会があれば綴りたいと思います。)


思い返せば、上述のデマ報道に関しては「ああ、あの時のことか」という心当たりがあるということです。私の感覚では、悪意を持って95%くらいの脚色を盛れば「警察に入れられた」という発言になるのだろうという程度であり、「その発言はない」との主張が公判で認められたものの、衝撃的に報道されたこの印象を拭えないことは無念でもあります。 


しかしこれは、その無念から名誉を回復したいとか、警察や報道機関に報復したいという感情からの問題提起や主張では一切ありません。(今さら名誉なんて意味ないことはご理解頂けるでしょう)


私の事件に関する公式な内容は公判と自ら作成した文書だけです。開かれた裁判での情報を傍聴人は自由に聞くことが出来ますし、私が報道機関にあてた文書も公式発表したものですが、これらの内容に報道されたデマは含まれていません。


では、事件の報道が過熱していた逮捕直後、拘留中の情報源は一体どこなのでしょう。

皆さんもご存じのとおり報道機関の情報の入手は記者が行いますが、拘留中の私に取材をすることは不可能です。いわゆる「ブタ箱」にいた私は接見禁止となっており、しばらくは妻ですら面会できませんでした。


多くの方が推察している通り、情報源は警察以外にはあり得ないのです。(あったら大問題・・・)

警察官が、取調べの内容を外部に漏らす。ブタ箱での様子を記者に話す。これらは、もちろん許されない行為なのですが、記者たちはこれ以外に情報を入手することが出来ません。


そこで記者たちは懸命に警察官個人と親しくなろう、価値のある情報を得ようと日々努力します。

警察官の自宅まで伺うそうですから記者というのは大変な仕事であり、そうして他社にはない情報を得ることが出来た場合の報道が、いわゆる「スッパ抜いた」記事となるのです。 


これはもはや「暗黙の了解」であり、関係者では周知の事実です。

また、この場合の情報提供者には、必ず「得るもの」があると言います。それが何なのかは私には分かりませんが、情報の漏えいというリスクを背負う訳ですから何かあるのでしょう。


では、私の事件に関する情報の発信源も警察官であったのでしょうか。

どうやら、それは完全には当てはまりません。 なぜなら、どの報道機関の記事もスッパ抜いておらず、まるで警察組織の公式発表から各記者が一斉に同じ情報を得たかのような報道状況と内容でした。(私は当時、見ていませんが・・・)


率直に言えば、公式発表に近い情報の漏えいが存在するということです。

この辺は一応、私の想像としておきますが、ここまで堂々と漏えい出来ることから考えても個人ではなく組織の意向としてのリークということでしょう。そして、これもまた上述したように関係者では周知の事実であり、「得るもの」があってのことなのです。


さて、これは警察組織に留まりませんが、公の機関はどこも予算を欲しがります。  そして予算を獲得するには、当然、効率的な業務内容か否かの査定があり、または結果も求められます。ここから先は民間企業も同じでしょうが、その内容や結果は上司(上層部)に認められなければならず、そのアピールの上手さもまた予算獲得や出世に係る能力のうちなのです。


因みに私を逮捕した薬物銃器対策課は、新設されて間もないとか。

私の逮捕という手柄や業績の内容よりも、過熱報道を煽ることでのアピールは大成功と言えるでしょうし、それこそが目的だったと思えてしまいます。皮肉っぽくなりますが、10名ほどの捜査員で私を取り囲みながら、徒歩の売人を追っていないわけですから、限りなく事実に近い推論なのだと思います。


このように「得るもの」があり手柄をアピールしたい警察組織と、情報を得たい報道機関は蜜月関係にある訳ですが、この関係についても「政治家のくせにそんなことも知らなかったのか」と、お叱りが聞こえそうなくらいの周知の事実であり、また、警察と報道機関の蜜月関係という表現は、とても生ぬるく、現状を表現するのに適していないかもしれません。


事件報道に関しては、警察からのリークがなければ記者(報道機関)は記事が書けないのが現実であり、新聞記者の高田昌幸氏の著書にはこの関係に「飼い主と飼い犬」という表現が用いられています。つまり、飼い主である警察からエサ(記事のネタ)を頂いている以上、警察組織を敵に回すような記事はあり得ず、もし飼い主を怒らせれば、エサが与えられずに文字通り「おまんまの食い上げ」となってしまうのです。


このような主従関係にあって報道機関の使命と言われる「権力の監視」は遂行されるのでしょうか。

「現在の状況では無理」そう断言せざるを得ません。これは警察組織に限らず政府にも言えることでしょう。私の事件のように、裏付け取材もせずに警察からのリークをそのまま報道する仕組みは、もはや警察の広報に過ぎず、戦時中に国民を欺いた大本営発表を彷彿とさせるものがあります。


しかし、こうした現実を私達は一概には非難できません。報道機関も所詮は民間企業であり、お客を満足させて報酬を得ようとするのは当然の事ですから、掘り下げれば、現状の報道に満足している私達にも原因の一端があります。


私達自身が誇張、脚色されたドラマチックな報道を欲して、他人の不幸や、処罰感情で心の枯渇を満たし分泌されるドーパミンから幸福感を得ている人間に備わる卑しい機能と、報道の真の価値について理解をしない限り、報道機関の在り方は変わらないでしょう。それはつまり、「マスコミは国民の鏡なのだ」ということなのです。


見方を変えれば「こういう下世話なニュースが好きなんだろう」と、私達はマスコミ・報道機関にバカにされている現状において、冒頭に申し上げた「報道の真贋を見極める」こと、私たちが報道機関に質の高い要求をしていく事が出来れば、公の機関をより良いものにすることが可能であり、また、この偉業ともいえる変革は政治に期待することの出来ない、私たち国民にしか出来ないことなのです。(ここに政治が介入しては本末転倒ですから・・・)


最後に、私が目の当たりにした個々の警察官、記者の方々は懸命に職務に励んでいましたし、人間性を疑うような人はいませんでしたが、残念ながら組織となると話は別という事なのでしょう。

それでも、真の使命を担う報道を皆さんと共に求め続ける事によって、より良く成熟した社会になること、また、高田昌幸氏のような気骨のある記者が現れることを信じ期待したいと思います。



参考:「新聞が警察に跪いた日」 著者 高田昌幸