今振り返ると、小さな不手際からの不信感の積み重ねが私の取調べを大幅に遅らせていたように思う。それは逮捕時から警察車両内でのミスが続いたのが始まりで、捜査員に悪意があったように決して思えない本当に些細なことであった。しかし、彼らはミスを一切認めようとせず、強引に黙殺するその姿勢は普段からの常套手段であったように思える。ミスを認めないのは公務員にはありふれた話にも思えたが、それとは別に、私には彼らが何かに怯えているように思えた。


あまり詳細に記述するのは、ただの警察への報復だと思われそうなので、一例だけ抜粋して取り上げることにする。


取調べの初日、私の調書作成に用意された紙の職業欄には「葉山町町議会議員」と記されていた。私は秘書になりたての20代の頃に同じ間違いをした経験から、妙に恥ずかしく思えたこともあり「これ、葉山町議会議員が正しいと思いますが大丈夫ですか」と尋ねた。決してミスを指摘するような言い方も、修正を求めもしなかったが、傍らにいた年配の刑事は慌てて若い刑事を呼びつけて修正を命じた。


私はその書類が何であるか分かっていなかったこともあり、まだ氏名欄と職業欄しか印字されていない、ほぼ白紙の書類を修正する行為が単純にもったいないと感じ、「いえ、わざわざ今すぐ修正しなくても結構ですよ」と取り繕ったが、その年配の刑事からは「なんのことだ」と返ってきた。私は冷静に目の前の出来事を説明したが、「知らない」「何のことだ」「言っていない」の一点張りで、最後には私も感情的になり「訳のわかんねぇ、嘘をつくな」と刑事に一喝し、取調べが中止となる一幕があった。


翌日から刑事が交代したが、作成される調書内容の偏りが余りに酷いと感じ、取調べ中の録音、又は録画を求めたが「そこまでの科学技術がない」と一蹴された。この返答が最後の決め手となり、完全に不信感を抱いた私は弁護士が決まるまで取り調べに応じなかった。厳密に言えば、刑事との会話は重ね、聞かれたことには応答していたが、作成された調書への署名捺印については「申し訳ないがよく分からないので弁護士がつくまで応じられない」と、かなり丁寧に断っていた。


後に知る事になるが、その頃の報道では私が「警察は信用できない」と言っているそうだ。


こうした、リークも刑事の不可解な態度も、全てが終わった今なら理解が出来る気がしている。時より怯えているように映った刑事たちは、私が議員であることや自ら注目を集めた報道によって、絶対にミスを犯せない重圧があったのだろう。取調べをした刑事は上司の指示を逐一確認していただろうし、後日談では最後の最後まで私が証言を撤回し裁判をひっくり返すのではと恐れていたらしい。今になって思えば、普通に取り調べていればスムーズに終わっていたのに、だ。


さて、ようやく弁護士が決まった私は、兎に角、早くこの場所から出たかった。弁護士の助言もあり、毎日、調書が完成された。しかし、所持も使用も認めているのに一向に終わる気配が無く、これ以上何を話せばいいか分からない状態での取調べが続き、むなしくただ時間だけが経過し、抑圧されたブタ箱での生活が無駄に続いていた。また、その頃一方では妻、友人、弁護士によって具体的に保釈申請の段取りがなされており、保釈の目処がつきつつあった。


無事に保釈申請が行えたことを弁護士から聞き、数日で外に出ることが現実味を帯びると、私は新たな恐怖を感じ始めるようになっていた。弁護士から聞かされる過熱報道ぶりから、一体どんな生活になるのか想像もつかなかった。待ちわびていた筈の外の世界に出て行くことが怖く、不安で押しつぶされそうな心境に陥ったことを鮮明に覚えている。また、そんな私を察して檻の中の人たちが一様に励ましてくれたことも同様に記憶している。


「とにかく家族を大事にするように」「世間は厳しいだろうが負けないように」「応援してるから社会を変えてくれよ」「自分から諦めたら駄目だぞ」と、社会では犯罪者として疎まれる人間ばかりの、この光景にきっと皆さんは違和感があるだろう。しかし、そこには普通に他人を思いやる人情と仲間意識が存在していた。また、それは檻の中に留まらなかった。保釈の前日、私は保釈決定の連絡が無いことへの苛立ちと不安から、檻の中をグルグルと歩き回り体中の力を檻にぶつけていた。その姿を見た職員はそっと檻に近づき手招きをし、近づいた私に「大丈夫だよ」と、耳打ちをして大きく頷いた。その素振りと目を見開いた表情からは「もう保釈になる」との意図が感じ取れた。


こうして私は保釈日を迎え、職員が許す可能な限り、檻の中の人たちに「ありがとう」と声を掛け、去り際には大きく手を振った。この人間関係と繋がりには私自身にも違和感があるが、抑圧された辛い環境にある者同士、また、それを目の当たりにしている職員にも、ある種のシンパシーが生まれるのだろう。


逮捕時に押収された品物が返却され、久しぶりにワイシャツとスーツに身を包み、携帯電話に電源を入れた。すると、刑事から「売人の電話番号、どうしますか」と尋ねられた。続けて「売人から連絡がある場合がありますよ」と言われ、私は素直に相談した。番号を消去することに何のためらいも無かったが、消去することによって発信相手が分からず、その着信に応答してしまう可能性が頭を過ぎったからだ。そうなれば、「再度、売人と連絡を取った」と言われても仕方のない通話履歴が残ってしまう。とは言え、心配する刑事に再犯の疑念を残すのが申し訳なく感じ、再度、携帯電話を預けてその場で消去してもらった。


留置施設をでた私は、身支度を整えて刑事から警察署を出るタイミングが促がされるのを待った。普通であれば、このタイミングを待つことは無いだろうが、私の場合は前日からマスコミが大挙して警察署前に陣取っていたので、その整理が行われていた為である。前日は雨であったと聞き、機会があれば現場の記者に労いの言葉を掛けたい気持ちでいた。変に思うかもしれないが、清原氏がマスコミに弁当を差し入れた気持ちがよく分かった。現場の記者を見ていると「自分なんかの為に申し訳ない」という気持ちになるのである。


そして、刑事から準備が整ったことを聞き、私は弁護士と歩き出し2階から階段で降り、1階ロビーの手前で深呼吸をした。このときの心境は、緊張感よりも恐怖心が適切な表現だと思う。その恐怖とは、警察署から出てくる私に向けられるカメラが捉えるのは、私の心の起伏から生まれる「申し訳ない」という感情や内面ではない。その一挙手一投足に向けられるのはマスコミがそれを生業とする好奇の目でしかないからだ。


そして、私は自らの顔を2回パンパンと叩き「行きましょう」と覚悟を決めて出入り口に向かった。それは、避けては通れない自ら招いた罪による、恐怖と対峙する日々の始まりでもあった。